臨時投稿☆明るい記事が書けそうにありません
おはようございます。ayaです。時差のある方はこんにちは、もしくはこんばんは。
今回の記事はかなり暗めの記事です。メンヘラと言われてしまうかもしれません。
精神科関係のお話です。やわい、甘い、弱い人間の話を聞きたくない方は閲覧をお控えください。次回は何か楽しい記事を書きますね。
毎日がつらい。今に始まったことではないです。私は薬を飲む度に、自分が病気であると言える理由を確かめます。病気でないなら薬を飲む必要がないし、一時的な気分の落ち込みといえるからです。なぜ、私は病気と言えるのでしょう。
私は以下の理由だと思います。
1.本人の意思では改善が見込めない
2.改善できない問題を本人が不快に感じている
3.あるきっかけで問題を生んだ
今回の記事は脱線蛇行運転でいきます。読んでいて共感できる部分があって、「そうそう、そうなんだよね」と感じてくださると嬉しいです。書いた甲斐があります。
私がこの状態になったきっかけは、明確でした。それまでは普通、特に問題を感じずに生活していました。
詳細を書くことはできませんが、私は今の状態を一時的なもの(の割には長いが)だと思っています。いつかあの頃に戻りたいです。
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(余談)
いえ、戻ることはできないのだと思います。病気にかかったことは消えない事実ですから、私の価値観や行動に影響を与えるはずです。
”そもそも変わらない人間はいないはず、様々な経験をしていくなかで人それぞれに変わっていくと思います。”
自分の”内面”を疑わない人はそう言うと思います。ちょっと違うんですよね。病気になって、医者に薬を処方されるまで変わった経験が与える影響は、その人の根本的な部分に効いてくると思います。だから、私は一生この病気と付き合い続けることになる…おぇ。
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悪い意味で処方箋はすごいです。気分の管理を簡単にやってのけます。でも薬で気分を自分の都合に合わせて管理する生き方は、人の生き方としてよろしくないのでしょうな。私は「こんなつらい気分が続くなら、薬で消したい」と思いますけどね…
大変なのは、薬を飲み忘れたときです。薬が効いている間は「いつか良くなれる」と思えるのですが、飲み忘れると自分がいかに薬に頼っているか思い知らされます。
私は薬なしじゃ生きていけないんだとすら思います。でも補助輪なしで自転車が乗れるように、トレーニングすれば大丈夫なんです。気分の上がり下がりが激しいので、薬なしで落ち着くことも難しいです。
以前にツイッターをやっていると記事のなかで書きました。精神科に通う人のアカウントが結構ありますね。老婆心ながら、病気の間はツイートを見るのも書くのもやめたほうがいいと思います。
ツイッターは、世界中の食材という食材を一気にミキサーにかけてるような場所だと思います。食材ごとに栄養バランスや味は違いますよね。自分の状態をよく理解できていて、見るツイートを自分で選択できる人、どんな劇物にも耐性がある人なら楽しめますが、病気ならやめといたほうが無難です。というわけで私は全てのアカウントを消しました。(笑)
以上、車掌はayaでした!
また来週~